本音を言うと、こういうことなのだ。昔はもう少し話していた気がするが、年々、他人と話すのが億劫になっている。
【執筆者:笹野健】
(女性専門のブログ集客コンサルタント。2009年に起業して以来、14年間で4,000名以上の女性の相談に乗り、アドバイスしたお客様の売上総額は「1億円」を突破。2,600文字超えの詳しいプロフィールはこちら。)
仕事なら「割り切って」話せる。私のことを信頼し、高額なお金を払ってまで会いたいとか、地方に呼びたいとか、話を聞きたいと思っていくれている。
そんな人の願いなら叶えてさしあげましょうという気持ちは強い。もちろん真剣に聞くし、真剣に答える。但し「時間限定だけど」という注釈はつく。
ひどいのはプライベートの時。これはもう本当に誰とも話したくない。店員さんですら拒否してしまう。アパレル店ではほぼ「無視」するし、飲食店でも注文を告げる時と会計時に「ありがとう」とか「どうも」くらいしか言葉を発さない。
たまに人懐っこい店員さんが話しかけてくると、適当にお茶を濁し、二度と行かないようにしている。
立ち飲み屋でしつこく絡んでくるおっさんがいて、仕事は何をしているのか?と聞かれたので「殺し屋」と答えたら、それ以来、何も言ってこなかった。これは使えるなと思った。
改めて考えてみると、自分の領域に断りもなく入ってこられるのが嫌なのだと思う。心を許した相手やその周りの人なら大丈夫だが、見ず知らずの人や、知り合って間もない関係性の薄い人には、一切心を開かない。
だから「ガサツな人」が許せない。誰かれ構わず話しかけて、それがコミュニケーションだと勘違いしている人間なんて、どこか遠くの島に、そういう人種だけ隔離すれば良いのにと真剣に思う。
こんなことをずっと言い続けているし、ブログにもよく書いているが、それで困ったことは一度もない。友達の数は変わらないし、相変わらず日本全国から仕事の依頼は絶えない。
つまり、同じように思っている人や、同じようなタイプの人は、意外と多いということだ。人見知りの人は声が小さいので、ガサツな人間みたいに自己主張しないだけで、意思は強いし、結束力も強い。なかなか心を開かないが、一旦受け入れたら、急に距離が縮まる。
そういう人しか私の元にはやってこないので、人間関係のストレスもなく、とても楽だ。つくづく、好き嫌いをはっきりするというのは、大事なことだなと思う。