日本人は小さい頃から努力の大切さを叩き込まれますが。そういうことを言っている大人ほど、大して成功していません。
自分では何も成し遂げていない人ほど、他人にとやかく言いたがります。その最たるものが努力という二文字です。結局、努力に「逃げて」いるのです。
スポーツ選手の本やインタビューには、やたらと努力という言葉が使われます。その理由は単純で、語彙力の乏しいアスリートはそうとしか説明できないからです。
その他に適切な表現があれば良いのですが、それを持ち合わせている人は滅多にいません。だからみんな「努力、努力」と言うのです。
本音では「楽勝で出来た競技」に没頭している人が大半です。生まれつき足が早いとか、類稀なる身体能力を持っているとか、ちょっと投げてみたら凄いスピードが出たとか。そういう才能を授かり、結果が出て楽しいので、更に没頭して良い成績が出る。この繰り返しです。
が、それをそのまま言うと感じが悪いです。「楽勝で出来ちゃったんだよね」と言うより「頑張って努力した甲斐がありました」と言う方が、その他大勢の人からは共感を得やすいです。
今やスポーツ選手にも品行方正が求められ、CM契約でもしようものならコンプライアンスにがんじがらめにされます。そんな時代には、少しでも感じ良くしておく方が賢明です。そういう時に便利なのが「努力」という言葉なのです。
今後もこの傾向は続きます。が、才能のない分野でどれだけ努力しても永遠に報われません。そのことに早く気付かないと時間を無駄にします。
私は繰り返し書いていますが、努力という言葉に懐疑的です。
そんなことをするくらいなら、努力しなくても楽勝で出来ることを見つけるという作業をした方が、圧倒的に成功しやすいです。人生というのは、努力しなくて済むことを見つけた人から順に、幸せになるように出来ている。これが誰も教えてくれない世の真実です。