論破されて嬉しい人なんていません。論破すればするほど嫌われます。場合によっては恨みを持たれ、一生、遺恨が残ったりもします。だから論破しない方が良いのです。
「論破王」として知られるひろゆきさんは「ああいう芸風」なので、論破しても大丈夫なのです。既に地位も名誉もお金も得ているのと、誰かに嫌われたからといって、困る訳でもありません。
フランスに住んで、悠々自適な生活をしているので、人間関係を気にすることもないのです。
それは、ひろゆきさん特有の「ポジショニング」であり、芸風なので、一般人が真似しても意味ありません。単にうざいと思われたり、嫌われるだけです。
何かつにけて論破してこようとする人がいれば「かわいそうだな」と思いましょう。誰も相手にしてくれないから、必死に相手に噛み付いてるんだなと、慈悲の目で見てあげれば良いのです。
人は皆、とにかく自分の話を聞いてほしいものです。最後まで聞いてくれた相手のことを信頼します。それは年齢も性別も関係ありません。国籍や時代を問わず、全人類に共通していることです。
論破というのは、その「真逆」の行為です。人の話を途中で遮り、反論を述べて、相手を説き伏せる。そんなことをされて喜ぶ人なんていません。
プライドの高い人間に対して、多くの人の前でこれをやると、下手したら殺傷沙汰が起こるかもしれません。そのくらい危険な行為なのです。
論破王を真似するのは自由ですが、そんなことをするくらいなら、もう少し頭を使いましょう。論破するのではなく、あくまで「意見」として発言したり、相手を追い込むのではなく「逃げ道」を用意してあげましょう。
そうすると、相手は「アドバイスしてくれた」とか「共感してくれた」と錯覚してくれて、嫌われることもありません。
最初から「論破してやろう」という気持ちで人と接していると、性格が悪くなるので、自然と顔が歪んできます。だから私は顔が歪んだ人とは、まともに議論しないと決めています。これも一つの対処法です。