育ちは別の場所ですが、生まれは三重県津市です。母方の祖父母のお墓があるので、今でもたまに帰ります。二年に一回くらいのペースで。先日、名古屋に行ったついでに寄ってきました。
この目の前にある「大観亭支店 津駅西口店」でうなぎを食べるのが定番です。名古屋や東京で食べるのは「野暮」というか、うなぎにそこまで高い料金を払うのは馬鹿らしいと思っています。
津ぅ(地元の人は津のことをこう呼ぶ)で育った母曰く「うなぎは小さい頃からしょっちゅう食べさせられたから、もう飽きた」とのこと。地元の人間しか知りませんが、津ぅはうなぎの養殖が盛んで、昔は「消費量が日本一」という時期もあったとのこと。ほとんどが「地産地消」なので、県外には出ませんが、うなぎ屋さんの数はとても多いです。
値段も安いです。名古屋や東京の「半額」程度ではないでしょうか。こういうところで普段から食べていると、わざわざ高いお金を払い、行列に並んでまで食べたいと思わなくなるのです。
駅前も随分と変わりました。昔はロータリーしか無くて、目の前にトヨタレンタカーがあったのを覚えています。お店なんて全然なくて、唯一の駅ビルが「チャム」でした。それも3階建てで、お店もちょっとしかなくて、どこでどう時間を潰せばいいのか分かりませんでした。
祖父母の家まで辿り着くには、電車もバスもありません。誰かに迎えに来てもらうか、タクシーのみです。一応、県庁所在地なのですが、こんなにも不便だなんて、当時は信じられませんでした。
阿漕浦というところで、ヨットハーバーや御殿場海岸まで歩いてすぐのエリアです。よく海で遊びました。「交通公園」というのがあって、子供なら自転車に乗り放題です。そこで撮った写真が、今でも実家にあります。
津ぅの思い出として覚えているのが「手こね寿司」と「サンバレー」でしょうか。今はどちらも残っていません。サンバレーは「イオンモール津南」という施設に変わっているそうですが、そうなってからは一度も行っていません。私にとっては、やはり「サンバレー」は「サンバレー」なのです。
実を言うと、レスリングの吉田沙保里さんも津ぅの人間で、産まれた年も同じです。どこかですれ違っていたかもしれません。あちらは「霊長類最強」ですが、こちらはすっかり「都会のもやしっ子」です。
小さい頃はあまり津ぅが好きではありませんでしたが、18歳の時に祖父が亡くなってから、急に好きになりました。一時期、LINEのホーム画面をこれにしていたくらいです。
四柱推命をやっている人に「あなたは、お墓を守る人ですよ」と言われたことがあります。なんとなく腑に落ちたというか、そういう「運命」なんだろうなと思います。
普段、仕事でもプライベートでも、まったく訛(なまり)や方言は出ません。わざわざ言わない限り、絶対にバレません。西日本の出身だと言うとびっくりされます。「生まれも育ちも東京の人だと思ってました」と言われることがほとんどです。
だから黙っておいても良かったのですが「笹野さんが三重県の出身だと知って、急に親近感が湧きました」という愛知県在住のお客様が昔からとても多いので、敢えて言っている部分もあります。
昔、津ぅで一度だけセミナーをやったことがあるのですが「即完売」でした。要望があれば、いつでもやるつもりでいます。