師匠と弟子の関係から独立してやっていける人の条件は、いかに「師匠とは違う個性が出せるかどうか」です。師匠のモノマネに過ぎないなら、それは独立とは言いません。同じお店が一つ増えただけです。それは単なる「フランチャイズ」です。
民藝にハマってからというものの、色んな本を読んでいるのですが、「どこどこの窯元の〇〇さんは誰々の弟子で」という記述をよく見かけます。独立したということは、その人独自のデザインや技法が見つかり、それを追求できたということです。
島根県にある「森山窯」の森山雅夫さんは、民藝運動を率いた河井寛次郎の最後の内弟子です。6年間一緒に過ごし「人生そのもの」を教わったそうです。師匠から基本のキを学び、そこから独自の道を歩み始めました。
森山窯の作品は、河井寛次郎の作品とは違います。テイストが似ているものもありますが、明らかに「別物」です。最初は師匠を真似し、次はそこからどうやって離れるのか。そこを徹底的に追求した結果だと思います。
鳥取にある「延興寺窯」の山下清司さんは、河井寛次郎の弟子にあたる生田和孝の弟子です。河井寛次郎からすると「孫弟子」になります。山下さんの作るものは、そのどちらとも違います。生田和孝の「面取」を模してはいますが、色合いや風合いが完全にオリジナルです。
山下さんの娘である裕代さんも陶芸家です。面白いのは、彼女は沖縄の読谷山焼北窯の松田共司さんに弟子入りしていることです。今はお父さんと一緒にやっていますが、彼女の代になると、また違った作風が生まれると思います。
というように、独立してやっていける人は、師匠の「イエスマン」ではありません。師匠に惚れて尊敬はしているけれども、同じことをやっていては勝てない。だから自分なりのオリジナリティを追求したい。そう思い、行動に移している人です。
起業したいからといって、まずは誰かの弟子になりたがる人が多いですが、そこから独立してやっていけるのはごく少数です。ただの「フランチャイズ」で終わっている人の方が圧倒的に多いです。それは独立とは言いません。師匠に「良いように使われているだけ」です。
そういう状況から「抜け出したいです」という人からの相談が、最近とても多いです。